それからというもの那美は俺とはほとんど口も聞かず寝室も別にしてた。
さすがの俺も毎日まっすぐ家に帰ったけど
いつもみたいにお帰りなさいって出迎えてくれることはなかった。



   Lie and truth       達也の物語     7


ただ 朝起きればちゃんと飯の支度をしてくれてて
仕事から帰れば晩飯の支度もしてくれてた。
だけど一緒に食事をすることも顔を見せることもなくて
俺が帰ると普段は使ってない部屋に閉じこもって出てこない。
こんなに長い夫婦生活の中で喧嘩らしい喧嘩はしたことがなかった。
だからこんな経験は初めてで 自分で撒いた種とはいえ結構きつかった。
話し合おうとして声をかけても返事もしないし
部屋のドアを開けようとしても鍵がかかってて開かないし......

たぶんこの部屋は子供部屋になる予定だったんだろう。
うちではただの物置にしか使われてなかったその部屋の中で
那美はいったい何を考えてるんだろうって思った。



翌日が休みだったので 今日こそは機嫌を直してもらおうと思ってた
とにかく謝るしかない。俺が悪いんだから....
それでもし仲直りできたら 久しぶりに二人でどこかに出掛けてみようと誘うつもりだった。


仕事を終えてうちに帰ったら 那美が篭ってた部屋のドアが開いてて
慌てて中を見てみたけど......そこには那美の姿はなくて
他の部屋も全部見て回ったけどどこにもいなくて....

まだいい匂いが残る台所に誘われるように行ってみたら
大きな鍋の中に俺の好物のカレーがたくさん入ってた。

どの部屋もなにも変わったところはなかったのに
なんとなく違和感を感じてあることに気がついた。
寝室のベッドの枕元に置いてあった写真立てがなくなってる......


結婚式を挙げてない俺たちだけど 実は記念写真だけは撮ってた。
ウエディングドレスぐらいは着せてやりたいと思って
勿体無いからいいと言う那美を無理やり式場まで連れて行って
俺が似合うと思った真っ白なドレスを一枚だけレンタルして
男なんて選ぶほど衣装があるわけでもないから
那美と同じ白いタキシードも一緒に借りて二人並んで写真だけ撮った。

たかだか写真を撮るだけのことなのに
誰に お幸せにって言ってもらえる訳でもないのに
那美はせっかく施してもらった化粧がはげちまうくらいに泣いて......

だけどそんな那美を......本当に綺麗だって思った。
やっぱり早く嫁さんにしといて良かったって
他の男に獲られてなくて良かったって あの時そう思ったんだ。
幸せにしてやろうって思ってたのに
俺は結局 那美を悲しませてばっかりで
挙句の果てには他の女までマジで好きになっちまって.....

那美の気持ちは俺にはわからないけど
きっとこんな不甲斐ない俺が嫌になったんだろう。
その写真だって いつそこから無くなってたのかもわからない。


那美のやつ.....まさか.......


だけどもしかしてどこかに出掛けてるだけかも知れない。
飯の用意だってしてあるし帰りが遅くなるだけなのかも.............
.いや.....きっとそうに決まってる。

行き先ぐらい言って欲しかったけど 喧嘩してるんだから仕方ない。
その時の俺は自分を納得させるためにもそう思い込んでた。

でも......

那美はちっとも帰ってこなかった。
一体 どこに行ったんだろうか。
探しにいこうにもどこを探していいのかがわからない。
那美の親しい友達の話なんて聞いたことがなかったし もちろん連絡先なんて知らない。

もし実家に帰ってるとしたら.....
だけどあの那美がそんなことするだろうか。
万が一そうだとしたら 俺たちはほんとに終っちまう。
そうじゃなくても那美の親には嫌われてるから
こんなことが知れたら絶対に別れ話になるに決まってる。

意を決して電話をしてみようかと思った時に携帯がなった。
見たこともない番号からの着信だったけど とりあえず出てみたら.......

「......達也......今 どこ?」
「那美か?お前こそ 今どこだよ。迎えに行くから。」
「迎えにはこなくていい。.....私しばらく一人で考えたいから。」
「考えるって何をだよ.....いいからどこにいるか言えって。」
「達也 カレー作っといたから食べてね。もし残ったら冷蔵庫に......」
「那美っ そんなこといいから 早く帰って来い。何時だと思ってんだよ。」
「だから帰らないって言ったじゃん。」
「.....マジで言ってるのか?」
「実家には帰らないから連絡しても無駄だよ。親にも言ってないし。」
「どこにいるんだよ。友達のところか?その携帯....貸してもらってるのか?」
「違うよ。これ契約して買ったの。だから番号登録しといてね。」

那美は携帯電話を持ったことがない。
いつも家か近所のスーパーにしか行かないのに
携帯なんて勿体無いからって言って どんなに勧めても買わなかった。
それなのに自分で契約してまで買うなんて.....

那美の本気が俺にダイレクトに伝わってくる。

「心配しないでね......何とか部屋も借りれたし。
やれば結構なんでもできるもんなんだね。私にもさ.....」
「......部屋ってお前.....ほんとに帰ってこないつもりなのかよ。」
「帰らないよ。私一人でやってみる。だから達也も......」
「何言ってるんだよ。場所どこだ?教えてくれるよな。」
「今は教えない。用事があったらこの携帯に連絡してね。」
「おい那美 待てって 切るなよ。もう一回俺と話し合う気持ち ないか?」
「......いくら話してももう一緒だと思う。私 もう達也がわからない。
考えれば考えるほど惨めになってくんだよね。だから達也........」

那美の声を黙って聞いてた。
このまま冷静に話せばきっと分かり合えると思ったから
言いたいことは全部言わせてやろうと.......


「私と......離婚してほしい。お願い.....もう 疲れちゃった....」


搾り出したような那美の言葉に俺は 頭の中が真っ白になってしまって
それからは何を話したのかも いつ電話が切れたのかも覚えてなくて
携帯を持ったまま じっとそこに座り込んでた......



気がつくともう夜中で外の車の音もほとんど聞こえなくて
そんな暗闇の静寂の中で俺は......本当に孤独だった。

那美はこうやって毎晩 帰りの遅い俺のこと待ってたのかなぁ。
いつ帰ってくるかもわからない俺の事 たった一人で....
俺はその間も酒飲んで 他の女抱いて.....

それなのに那美は今まで文句ひとつ言わないで待ってたんだ。
愛想尽かされるのは当たり前のことで
俺には何も言う権利なんかなかった。

どこかで思ってたのかもしれない。
那美が俺から離れていくようなことはできないって.....
友達だってそんなに多い訳でもないし
親元にだって帰りにくいのもわかってたから
俺から逃げるようなことはできないって箍を括ってたんだと思う。


サイテーだな.....俺は.....


台所に行き 那美が作っておいてくれたカレーの鍋に火をつけた。
テーブルの上のふきんの下に皿とスプーンがあった。
その横に一枚のメモが置いてあって.....

  ”カレーは温めてください。冷蔵庫にサラダがあります ”

冷蔵庫を開けてみるとそこにもまたメモがあって

  ”明日の朝ごはんは 棚にあるパンを食べてね ”

今度は棚に目をやると確かにパンが用意してあった。

「目玉焼きがないじゃねぇかよ.....どうすんだよ 那美.....」

独り言を言ったって誰も聞いちゃいねぇってか....


カレーは俺の大好物で 特に那美の作ったカレーは最高に旨い。
俺の体のために野菜をたくさん入れてるんだよっていつも自慢げに言ってた。
朝から夕方まで煮込むからガス代が高くつくとか
焦げ付かないようにずっとついて見てないといけないとか
そんなこと言ってたのを思い出しながら一人で食った。
那美はもういないのに カレーはめちゃめちゃ旨くって.....

皿を洗うなんてことやった事もない。
コップひとつ自分で洗ったことだってなかった。
仕方なく自分で洗ったけど どこにしまえばいいのかなんてわかりゃしねぇ。



風呂に入ろうとして湯が張ってないことに気づき 慌ててまた服を着た。
脱衣所にはその日の着替えが置いてあった。
湯を張るのも面倒になって結局シャワーだけ浴びてベッドに入った。
心身ともに疲れてて いつでも眠れそうなのになかなか眠れない。
一人で寝るには広すぎるベッドの上で何度も寝返りを打ってた。


本当はすぐにでも那美に電話をかけたいところだけど
今の俺にはたぶん何も伝えられないだろうと思ってやめた。
例えば 巧い言葉で何かを言ったとしても
きっともう騙されてはくれそうもなかったし
だいいちそんなにうまく言い訳できる自信すら この時の俺にはなかった。
いっそ今までのこと 全て話してしまおうかとも思ったけど
知らなくてもいい事まで聞かせてわざわざ傷を深くする必要はない。
もし那美に彼女のことを追求されたら 俺はきっと何もかも話してしまう。


彼女とのことを否定することだけはしたくなかったから.....


京子とは本当に何もないんだから
きちんと最初から話をすればよかったんだろうけど
どちらにしてもあの時の那美はきっと聞き入れなかったろう。
那美はあれで 結構気の強い女だから....
京子にまで迷惑がかかる事になるかもしれないと思うと話せなかった。
やっと新しく歩き始めた京子の邪魔はしたくなかった。


夫婦ってなんなんだろうな。
よく紙切れ一枚だけの繋がりって言うけど
確かに印鑑押したら簡単に結婚も離婚もできるわけだから
本当に事務的なものにしかすぎないんだろうけど.....

那美はもう帰ってこないんだろうか。
本当に別れるつもりなんだとしたら......


不謹慎にも俺の頭の中には彼女の顔が浮かんでた。
まだ彼女と別れてそんなに経ってないのに
今度は那美とも別れるのかって......


きっと自業自得で これは当然の報いなんだろう。

だけど......

俺は黙って報いを受けるほど出来た人間じゃないから
彼女との別れを選んでまで守ろうとした生活をそう易々と捨てる訳にはいかない。
もしも俺が那美と別れることが出来てたとしたら
彼女にだってあんなに辛い思いをさせなくても良かったのに。
こんなことになるんならどうしてあの時............

いろんな思いが俺の中に生まれる。

結局俺は何もかも失くしてしまった。
それもこれも全部自分のせいだけど......
頭ではそう分かってても 俺が一番悪いんだと思ってても
どこかでサイテーな俺が顔を覗かせてくる。
こんなことなら彼女と別れなければ良かったって.....
俺は彼女のことを諦めて那美を選んだのに
話し合うこともせずさっさと出て行っちまって.....

こんなこと考えるのはほんとに間違いだと思う。
もし俺のダチが同じこと言ったら きっと今頃ぶん殴ってるだろう。
そう考えたらなんだか自分の事が滑稽で笑ってしまった。


外が仄明るくなってきた。

俺は一体 何をやってるんだろう...................







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