しばらくの間 俺から那美に連絡することはなかった。
たぶん 半分意地になってたんだと思うけど。
那美からは何度か電話があったけど やっぱり気持ちは変わらないらしく.............
だけど俺は絶対に離婚はしないと突っぱねた。


    Lie and truth       達也の物語    8


京子とは会ってないし あいつはもう旦那の所に帰ったんだと伝えたけど
那美は気のない返事で 振られちゃったの?って抜かしやがった。
俺の話なんか全く聞く耳を持たない様子だった。


そのうち根をあげて帰ってくるに決まってる。
そう思ってたのに那美のやつ......見た目より気が強いのは知ってたけど
あんなにも頑張れるとは 正直思ってなかった。
仕事までしてるって聞いて 金を振り込むから口座教えろって言ったけど
那美はそんなのいらないって言って教えてはくれなかった。


女房が家に居ないってのは本当に不便なものだと思った。
飲み食いは何とでもなったけど 普段の生活は悲惨だった。
ワイシャツだって靴下だって 洗う人間がいないから
どんどんストックがなくなって 結局は新しい物を買うしかなくなって....
洗濯ってのもしてみたけど 干したり畳んだりするのは億劫で
仕方ないから下着と靴下以外は全部クリーニングに持って行くようにしてた。
家の中はどんどん汚れていくし ごみなんて出した事もないし.....

主婦の仕事は思った以上に重労働で大変なもんなんだなって思った。
俺がこれまで外で好きなことできたのは
那美が家を守ってくれてたお陰だったんだと痛感した。


そんな毎日が続く中で 家で一人飲むのも淋しくて
ある週末久しぶりに 飲みに出た。

「よぉ ママ元気だったか?」
「あら?珍しい。ぜんぜん顔出さないで どうしたの?」
「悪い......色々あってな。」
「相変わらずいつも何かあるのね。あなたたちは.....」
「ほっとけ。さすがにボトル流れてるよなぁ。新しいの入れてくれよ。」
「ちゃんと流さず置いてるわよ。もう一人これ飲みに来てるから。ふふ」
「はぁ?俺のボトル誰が飲むっていうんだ?.....もしかして」

一瞬 彼女の顔が浮かんだ.....

「残念でした。はずれ 」
「まだ答えてねぇよ。....ったくよぉ 」
「たぶんもうすぐ来ると思うわよ。最近毎日のように来てるから 」

俺の酒を勝手に飲める奴なんてそうそうはいない。
予想がつくだけにそいつが来る前に帰ろうと思った。
その時はそいつと話せるような状況じゃなかったし......

「ママ 俺 帰るわ。そいつに 飲んだら新しいの入れとけって伝え.....」
「もう三本目だぞ。あれから二本入れたから.......久しぶりだな 達也。」
「よぉ......」
「何だ?会いたくなかったって顔だな。」

図星を指された俺は黙って一度上げた腰を椅子に戻した。

「私 あっちのお客さんのとこ行くから勝手に作って飲んでね。」

この店はママとあと一人 女の子とはちょっと言い難い年齢の女性と二人でやってる。
そんなに店も広くないし席数も少ないから十分なんだろう。
ここでの手酌なんていつもの事だからもう慣れてた。
......まぁ ママにすれば気を利かせただけの事だろうけど。

そいつは黙って氷も入れずストレートで
グラスにブランデーを注いでそれを一気に流し込んだ。
こんな無茶な飲み方できるような男じゃなかった。
どちらかというと酒は弱いはずの奴がどうしちまったんだ。

「お前....何かあったか?」
「達也には言えねぇよ。.....申し訳なくってな 」
「もしかして.....あいつに何かあったのかよ 」
「ほらな.....そうやって過剰に反応するから言えないんだろが 」
「やっぱり何かあったんだな。.......で 大丈夫なのか?あいつ 」
「らしいぞ。俺にもわかんねぇけどな。何せ逃げられたからよ 」
「ノブ.......お前やっぱりあいつと......」
「どうしていいかわかんねぇよ......俺...」

こんな風に弱音を吐くノブを それまで見たことがなかった。
長い付き合いの中で初めて見せたあいつのそんな姿に
俺の方がどうしていいかわからなくなって......

「俺のこと無視していいから何があったか話してみろや。
黙って聞いててやる。あいつの事も.....もう終わったことだしよ。」
「ほんとかよ。信じらんねぇな......」

ノブはそう言って淋しそうに笑いながら だけどゆっくりと
それまでのいきさつを俺に話してくれた。
それを聞いて正直かなりショックだったけど......
だけど約束どおり その気持ちは表に出さずに黙って聞いた。

「......要するにお前は 居場所知ってて迎えに行かないって事か?」
「行かないんじゃなくて 行けないの間違いだろ.....」
「彼女はもう大丈夫なんだろ。じゃ問題ないじゃねぇか 」
「香織の気持ち考えたら......そう簡単にはいかねぇよ 」

そう言って彼女の名前を呼んでまた酒を注ぎ足して煽るノブを見て俺は思った。

......香織....って 呼んでるんだな.....

確かにあいつはそういう女だったよな。
人の事ばっかり考えて 自分が犠牲になればいいとでも思ってるんだろうか。
まったく損するタイプの女だ.....


「......なぁ ノブ 今度は俺の話も聞いてくれるか?」

俺は那美とのこれまでのいきさつを全部話した。
話しながら 実は俺も本当は誰かに聞いて貰いたかったんだなと思った。




「......お前も大変なんだな。那美 一人で大丈夫なのか?」
「それが結構 元気そうに電話してきてよ。吃驚してるよ 俺も 」
「そっか......やっぱ女は強いよな 」
「そうみたいだな..... 」

本当にその通りだと思った。
俺ら男どものこんな情けない姿見たら笑い飛ばすんだろうなって.....

カウンターのボトルが並ぶ棚に 一本だけ俺の目に入ってきた瓶があって
特に主張するわけでもないそのボトルは 俺にとっては特別な存在感を持ち
ママはこれも流さないでおいてくれてたんだなって.......
その瓶を見ながら俺は話を続けた。

「ノブ....お前が迎えに行かないんなら俺が行くってこともありだな。」
「悪いな 達也。今 冗談で喧嘩する気力なんかないから。」
「.....本気だって言ったらどうする?」
「いい加減にしろよ。さっき香織とは終わった事だって言ったばっかりだろ。」
「別におかしな話じゃないだろが。元は俺の女だしよぉ。
こっちは女房の方から離婚迫られてるんだぞ。より戻すなら今かもな。
なぁ 俺に場所だけでも教えといてくれや。あとは巧くやるからよぉ。」


やっとこっちを向いたノブの拳が一瞬 俺の前を横切ったかと思ったら視界が変わって

俺の目には天井がうつってた......


「ちょっと......やめなさいよ。こんな所で。」


起き上がらせようとするママに 悪かったなと一言だけ告げて
俺はもう一度 何事もなかったかのように椅子に座りなおした。
そして立ったまま動かないノブの腕を掴んで無理やり座らせた。
カウンターにはママがこっちを伺いながら立ってた。

「......なぁ ノブ.....俺さ 那美とはもう駄目かもしれない。
あれだけ別れてくれって頼まれるとな さすがにへこむわ 俺も....」
「だからって香織はお前に返さないから.....それだけは覚えとけよ 」
「そう思うなら うだうだ考えてねぇでさっさと行けよな。
いつまでもそんな顔されたら マジで気が変わるかもしんねぇぞ 」
「だから言ったろ。香織の気持ちも.....」
「うっせーんだよ お前は昔からほんと細かいやつだな。
ちまちま言ってんじゃねぇよ。掻っ攫ってこいよ 強引によぉ 」
「......達也.......」
「何だよ 文句あんのかよ。言ってみろや。」
「お前にだけは言われたくないぞ。この女たらしが......」
「だから俺の方がそっちの方は詳しいって事だろうが。たまには女たらしも役にたつんだよ。」

ママのくすくすという笑い声に最初にノブが笑い出して
続けていつの間にか俺も笑ってた。

「呆れた.....俺 帰るわ....達也 悪かったな。」
「別にこれぐらいなんて事ねぇっての。で どうすんだよ 」
「お前みたいな男に渡すのだけは癪だからさ。.....明日 行って来る..... 」
「......そっか 応援はしてないぞ。結果報告もいらないからな 」
「もうあれからだいぶ経つからな 案外 他にいい男できてるかもな 」
「そうだな。もしそれなら 結果報告してこい。また一緒に飲んでやるから 」
「いちいちムカつく奴だな。絶対に連絡なんかしないから心配するな。
それより.....お前はどうするんだよ 」
「そうだな......しばらくは独身生活を謳歌してみるかな 」
「......那美は昔からお前の事だけ見てきたからな。ちょっと息抜きさせてやるのもいいかもな。」
「まぁ なるようになるさ.......」

ノブはいつものように振り向かずに手を振って帰っていった。
あとに残された俺に ママは冷たいおしぼりを渡してくれた。

「あーあ 色男が台無しね。」
「あいつ 手加減ってやつ知らねぇからな 思いっきりきやがってよ。」
「そういうあなたが煽ったんでしょうが......」

俺はママにグラスを差し出してお見舞いにビールを奢ってくれってせがんだ。
ママは笑いながらビールを持ってきて俺のグラスに注ぎながら......

「あのボトル.....もう流しちゃおうかしらね。いつまでも見てると辛いでしょ。」
「そうだな。もう俺には何も手出しできそうにないしな。流してもらうか。
........でも最後に一杯だけ.....それで水割り作ってからにしてくれるか?」

せっかくのビールはママに飲ませて 俺はその水割りを飲んだ。
最後の一杯は彼女の顔を思い浮かべて飲んだ。
これぐらい ばちはあたらないだろ....


「ママ 夫婦って何だと思う?」
「いつも答えられない質問ばっかりするんじゃないの。」
「考えてもまったくわかんないんだなぁ これが.....」
「答えなんてひとつじゃないでしょ。いろんな形の夫婦がいるんだもん。」
「籍入れて一緒に住んでるから夫婦っていうんじゃないのかよ。」
「戸籍なんてそれこそ形だけじゃないの?そんなものあってもなくても一緒よ。
実際 私と旦那って籍は入れてないもん。所謂 内縁ってやつ?」
「初耳だな.....旦那さん いたんだな。」
「私ね....香織ちゃんとおんなじ事してたのよね。」
「同じって......そうなのか?」
「うちの旦那 吉永さんによく似てたの。結局どっちにも決められない。
でも私は香織ちゃんのようにあきらめることができなくてね......
籍は入れたくても入れられなかった。向こうの奥さんが印鑑押してくれなくて
もう何年も前の話だけどね......私の話はちょっとハードだからこの辺でやめときましょ。」

怖いもの見たさでその先も聞いてみたかったけど ママはそこで話をやめた。

「それでも.....夫婦なんだろ?」
「夫婦ってよく空気みたいだって言うけどあれほんとね。
いても邪魔にならないし いないとなんだか寂しいのよね......」

空気か.....
確かにそうなのかもしれない.....

「私は奥さんとは反対の立場の人間だから何もアドバイスできない。
少しだけ後悔する時があるのよね。私がしたことは間違いだったのかもってね。」

ママはそう言って苦笑いを浮かべた。


家に帰り冷蔵庫に冷やしておいた缶ビールを取り出して
真っ暗な部屋に一つずつ灯りをつけながら考えてた。

結婚してから那美はここにいて俺を待ってるのが当たり前で
そういえば 愛してるとか幸せだとか そんなこと考えたことはなくて
那美に向かって愛の言葉なんて囁いた事は結婚してからは記憶にない。
彼女にはこれでもかってぐらい 愛してるって言ってたのに。
でも夫婦なんてそんなに愛を語りあったりはしないだろうと思ってた。
だいいちそんな事いちいち考えたりもしなかった。
結婚してるんだから一緒にいるのが当たり前になってて......

言葉にして何も伝えてやれなかった那美の気持ちが少しわかる気がして
今度連絡があって もしも那美の気持ちが変わらなければ
その時は那美を自由にしてやろうかと 少し気持ちが動いてた。


そしてあの日.....家に帰ると那美がいて....

綺麗に片付けられた部屋を見てさすがだなと感心した。
今まではそんな事 感じたこともなかったのに......
なんの為に戻ってきたのか 那美の険しい表情から察するに
帰ってきてくれたわけではなさそうだった。
だけど久しぶりに聞く“おかえり”の言葉は俺の心を和ませた。

「あの人と別れたって聞いた.....」

那美のその言葉で俺は最初 彼女のことを言ってるんだと思って
いつのこと話してるんだよって思ったけど
その後の那美の言葉は俺を仰天させる内容で........

まったく.....ありえないだろって思った。
何で那美と彼女が友達になってんだ?

あんなにいろいろ考えた俺ってなんだったんだ?
ずいぶんとややこしい話になっててもう何もかもどうでも良くなってた。
自分で自分がみっともない人間に思えてきて
那美にも情けないって言われたけど.... 
本当にその通りの情けない男だった。

「那美は もう別れたいんだろ。いいよ それで......」

そのときの俺は もう限界だったのかもしれない。
これでも那美の気持ちを考えて今まで待ってたつもりだった。
だけどもう俺は那美にとって必要な人間じゃないような気がしてた。
そしたらこんなかっこ悪い俺を見て那美が泣き出しちまって.....

「那美.....俺さ もう最後だと思うから全部話す。聞いてくれるか?」
「今日はちゃんと話し合うつもりで来てるから.....全部聞かせてくれる?
今はたぶん何言われても大丈夫だから....本当のこと聞きたい....」

那美は真っ直ぐに俺の顔を見た。
隠す必要ももうないだろう。これで全部が終わるんだから....

「最初に彼女に会った時から俺マジになりそうな気がしてた.....」

それから彼女には最初 結婚の事実を隠してたことや
彼女が付き合ってた男と別れて俺と付き合いだしたこと
二人で毎晩のように会ってたこととか 飲みに行ったり食事したり
水商売させたのも そして辞めさせたのも俺だということ 
一度は別れてしまったけど どうしても忘れられなくって
またもう一度付き合いだしたこと......
二人きりで旅行に行ったことも正直に話した。
全部は語り尽くす事などできない程に 長く深く付き合ってた俺と彼女の話を
那美は微動だにせず ただ黙って時々ため息をついて聞いてた。


そして京子に頼んで 彼女と別れる為に付き合ってる振りをして貰った事も
彼女と別れて那美ともう一度やっていこうと思った事も
包み隠さず 全部話した。

「俺 あいつの事 本気だった....那美とは別れてあいつと一緒になりたいって
そう考えたこともある。でも ああいう女だから そんな事して一緒になっても
きっとあいつは幸せじゃないんじゃないかって思って......
俺 香織ちゃんの事しか考えられなくて.....那美には悪いと思ってる。
.........ごめんな こんな男で......ほんとごめんな。」

「......それで 全部なの?もう隠してることない?」
「隠してることなんかもうなんもねぇよ....俺も一人で考えた。
俺 那美に何もしてやれなかったなって。那美さっき俺に守ってもらってたって
そう言ったけどよぉ 実は俺が守ってもらってたのかもな。
いつもたった一人で俺のこと待っててさ 食うかどうかもわかんねぇのに
ちゃんと晩飯の支度して......掃除だって洗濯だって
全部俺の為にしてくれてたのに それなのに 俺は......」

どんなに謝っても謝りきれないくらいのことを俺は那美にしてきた。
本当に心から悪いことをしたと話をしながらそう思った。


「......香織ちゃんがね 私に言うのよ.....お願いしますって。
達也を許してあげて欲しいって。きっと私を待ってるはずだって。
それから達也が愛してるのは......私なんだって.....」
「あいつ.....そんな事 言ったのか?」
「達也にもう一回だけチャンスをあげて下さいって頼まれちゃったよ。」

そう言って那美は 苦笑いを浮かべた。
結局 最後の最後まであいつは........

「.....もう一回.......最初から頑張って見ようか。私たち。」
「......那美.....」
「今度が最後のチャンスだよ。もしまた浮気したら.......ごめん.....
浮気っていったら悪いね。もしこれから先 他に好きな人ができたらその時は......」

俺は知らず知らずに那美を抱きしめてた。
たまらず涙が出てきてしまって ほんとみっともねぇって思ったけど
どうにも止めることができなくて.....




今でもその時の事は恥ずかしくって思い出したくない。
なんであんなに泣けたんだろうか。
たぶん あの時の俺は本当に孤独だったから.....
きっと誰かにしがみつきたかったんだろう.....
だけどそれは きっと他の誰でもない。
あんな格好見せられるのは........やっぱり那美しかいないと思うから。



今日の結婚式には最初は出席しないつもりだった。
だってどう考えてもおかしいだろって思ってたから。
でも那美がどうしても出席するべきだって言って.....

「香織ちゃんの幸せ 見届けてやったら?本気で愛してたんでしょ。
だったら.....最後にちゃんとおめでとうって言ってあげてよ。」

那美は本当に強くなった。
母親になると女は変わるって聞いてたけどあれはマジだ。
子供が欲しくなったのは実は俺の方で 真っ赤になりながら産婦人科に行った。
やっと授かった子供のちっちゃい影が写った写真を見て
ただそれだけのことを こんなに愛しく感じるなんて
.....こんな幸せもあるんだなってことを知った。


二次会に向かう車の中で 彼女に真実を話してあげたら?って那美に言われた。
でも もう何も言う必要なんかないだろ。
ノブの横で幸せそうに笑ってる彼女を見たら
俺のついた嘘も まんざら悪いもんでもなかったかなってそう思えたから。
俺には与えられなかった幸せをあいつは自分で見つけたんだ。

だからたった一言だけ.....
それだけで彼女にはきっと伝わるはずだから......



最後のタバコを吸い終わり 
そろそろ子供の為にも禁煙を考えないといけないと思いながら
寝室のドアをそっと開けてベッドに入ると 那美がこっちを向いて
俺の胸に手を置いてまたすやすやと眠った。

ベッドサイドにはまた前と同じように 二人の写真が飾ってあって
もうすぐきっとここに 新しい写真が増えるんだろうなって考えながら
俺はそのまま目を閉じた.......


なぁ 那美  子供の顔 早く 見たいな..........





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