「.......どうだった?」


トイレから出てきた私に ノブさんが緊張した面持ちで尋ねてきた。



  Crystal eyes       8




「ん....それが....さ....」
「...........できてたか?」
「いや.....っていうか わかんない?」
「わかんない?って ......そこ疑問符か?」

だって......


家に帰ってくるなり すぐに検査してみろと言われた。
ノブさんには 初めて使うからって言った手前 説明書読む振りをしたんだけど
実は .......前にもこれ 使った経験がある。
何となくそれを知られるのが嫌だったから ちょっと嘘をついてしまった。

前に使った時には 一度もマークなんて出たことがなかったけど
.......今回は 確かに ごく薄っすらとだけど ピンク色の線が出てる。
だけど ちゃんと指定の時間待ってみても その色が濃くなることはなかった。

どうなのかなぁ....これって できてるってことなの?
それとも これが不良品だったりして.....
俺にも見せてくれと迫るノブさんに 絶対嫌だって言って
もう一回 説明書の見本写真を凝視してみるけど.......


「なんか こう.....こんなにもはっきり出てないんだよね。色がさ 」
「そっかぁ。やっぱり 病院じゃないと分からないってことだな。
..........よし 明日早速 行ってみるか?どこの病院がいいんだろうな 」

そんな簡単に行ってみるかって言われても......

「あの......ノブさんも一緒に行くの?」
「嫌なのか?」
「ノブさん 仕事あるでしょ。私 一人で行けるから......
あ 晩御飯の支度......どうしよう。遅くなったけど今から作ってもいい?」

なぜか ノブさんの顔を見ることが出来なくて 
キッチンに立って さっきの続きから始めることにした。
何もかも 放りっぱなしで飛び出したから......



「まだ 怒ってるか?香織」
「ううん......私もあんなことぐらいで......」

ノブさんは私の横に来て 人参の皮を剥きはじめた。
別に 腹を立ててる訳じゃなくって
ただ さっきはみんながいてくれたから良かったけど
二人きりになると 何となく気まずくて
自分の気持ちを伝える方法がわからなくって......


「あの時 約束したよな。これからはちゃんと話をしようってさ。
だからって...... みっともないとこ見せちゃったよな。」

次は何を剥いたらいいんだ?って言うから
さっきのじゃがいもの続きをお願いした。
二人で並んでじゃがいもを剥きながら 何から話せばいいのかと考えた。

......まきちゃんも言ってた。ちょっと心配になっただけだろって。
たいした事ないじゃないって。
きっと今の気持ちを素直に話せばいいんだよね........

「......ねぇ ノブさん......私ね
吉永さんのこと...... 本当に大好きだったんだよね。
それはきっと ノブさんが一番よく知ってると思うけどさ。
これはもう...... どうしようもないことなの。」

ノブさんはただ黙って じゃがいもをピューラーで剥いてる。
それをじっと見てると 手まで切っちゃいそうで怖くて 目を逸らした。
真横で話してるんだから聞こえてるはずなのに 返事はない。

「だけどね 今はノブさんだけ。他には何もいらないの.......それだけは信じて欲しい。
あのコーヒーカップだって 吉永さんの好きな色だって言ってたけど
それは 特別扱いだとかそんなんじゃなくって......
ただ 那美さんと二人で使ってもらえたらいいなって
それだけしか考えてなくて......だからね....えっと」

うまく言葉がつながらない。なんて言ったらいいんだろ。

......瞬間 ノブさんの広い胸の中に抱きしめられた。

その腕は遠慮がちで 壊れ物を触るかのように 優しくて......
初めて ノブさんに抱かれた日のことを思い出した。

「......自分が嫌いになりそうだったんだ。
あんなことぐらいで 何で達也に嫉妬してんだか.....」

弱く抱きしめるノブさんの体を きつく抱きしめ返して
不安そうな彼に 私の方からキスをした。
笑顔でおでこをくっつけて彼の目を見ると ノブさんは ちょっと照れたような顔で言った。

「おかしいよな.....俺。香織は俺の女房なんだよな。」
「.....そうだよぉ。私は ノブさんの奥さんなんだからさ。
今度 また同じことあったら本気で怒るからね。あ そうだ.....罰ゲーム 考えとくから 」
「おい......罰ゲームって。なんだそれ?」
「うんっとねぇ........たとえばアスパラだらけのサラダとかぁ....」
「だから あれだけは無理だって.....青臭いから 」

腰に手を当てて 絶対に罰は受けてもらうからねって言ったら
ノブさんは笑いながらお手上げのポーズを取った。


「さてと.....晩御飯 遅くなったね。お腹空いたでしょ。今 魚焼くからさ 」
「もう今日はいいぞ。何か 出前でも取るか?」
「うーん そうだね。じゃ これは明日にしよっか」
「魚は 無理なんじゃないか?」
「大丈夫。塩だけ振っておけば明日も食べれるから。」

飛び出したときに ほったらかしてた魚を ノブさんは冷蔵庫にしまっておいてくれてた。
そのお陰で 『もったいないお化け』には会わなくて済んだみたい。
ノブさんは 出前のメニューを探してる。

「もうこの時間だからなぁ。ピザでも取るか?」
「ふふ 今日はピザに縁のある日だ。」

何のことだ?って言いながら注文をしてくれてるノブさん。
その間に とりあえず 魚の下処理だけは済ませようと思ったんだけど.....

「......どうした?香織 気持ち悪いのか?」
「う....ん ちょっとだけね。」
「昨日から色々あったからな。疲れてるんだろ。
それともやっぱりなのか.....とにかく少し横になれ。」
「大丈夫だよ。これだけ.....やっつけちゃわないと.....」


胸のむかつきと戦いながら 何とか魚を成敗したころにピザが届いた。
やっぱり...... アスパラは乗ってない。

「ねぇ 何 飲む?」
「そうだな...... ビールにするかな。」
「ん 取ってくるね。」

キッチンに行って 冷蔵庫を開けて缶ビールを出した。
よく冷えてて.....ピザに合うこと間違いなしって感じ。

「お待たせ」
「サンキュ。ほら 香織も熱いうちに食えよ。結構いけるぞ。」
「そりゃ ノブさんの好きなものしか乗ってないからね。ふふ 子供みたい。」

うるさいよって言いながら ピザを頬張るノブさん。
私も食べようと思って 一枚手にとって口に運んだんだけど......

「.......香織? どうした?食欲ないのか?」
「そういう訳でもないんだけどさ。あのね コーラ.....飲みたいなって.....」

基本的に 炭酸飲料はあまり好きじゃない。
ノブさんもあまり飲む方じゃないから 買い置きなんてしてない。
それなのに 何だか無性に飲みたくなってしまって.....

「でも いい。ビールにしとく。」
「待ってろ。今 下の販売機で買ってくるから。」
「そんないいってば わざわざ買いに行かなくても.....って.....ノブさん?」

言い終わらないうちに 玄関ドアの閉まる音がした。

やっぱりノブさんは 優しい人だ。
やきもち妬いた自分をカッコ悪いって言ってたけど そんなことない。
どんなノブさんだって 大好き。

私にとっては 世界でたった一人の かけがえのない大事な人......




息を切らしながら 帰ってきたノブさんから 冷たいコーラを受け取って
缶を開けて コップに注ごうとしたんだけど......

「わぁー ノブさんってば 走ったでしょ。ちょっとぉー」
「ありゃー 悪い!振らないように走ったんだけどな。」

振らないように走ったって......器用なことするよね。
まぁ その結果が これなんだけどさ。
白いTシャツに茶色い泡が シュワシュワいってて気持ち悪い。
染みにならないようにと 慌ててノブさんが濡れたタオルで拭いてくれたんだけど.....
どうにもその手の動きが緩慢な気がして.......

「......ノブさん?」
「いや.....これは 結構 そそるなって思ってさ。」

自分の胸に目をやると 白いTシャツに 水色のブラが透けて見えてた。

「こら 邪なこと考えてるでしょ。」
「そーんな訳ないだろ。さすがに 今日はやらないって 」
「なんでよ?」
「え?したかったのか?」
「///// .....んなこと言ってないでしょーが。もうっ 着替えてくるし 」

膨れっ面で 背を向けてやったら いとも簡単に後から捕獲されてしまった。

「着替えてくるから.......食べてて 」
「香織がすぐ 戻ってきてくれるなら......」
「何言ってんだか 家の中だよ。へんなの ふふ」
「どこにも 行かないって約束してくれ......」
「......ノブさん?」


TVもつけていないこの部屋はやけに静かで
背中にあたるノブさんの体を通して 心臓の音まで聞こえてきそうで.....

「どこにも 行かない。約束する。」
「ほんとか?」
「絶対に もうどこにもいかない。出て行けって言われてもね。
だからさ もうっ そんな子供みたいなこと言わない!」

主婦は図太くなくっちゃねって言ったら 似合わないセリフだなって笑われた。



二人で リビングで床にピザを広げて 肩を並べて座った。
何だか今日は 一ミリの隙間も開けていたくないような そんな気持ち。

半分以上が泡と化してしまったコーラを飲みながらピザを頬張ってると
ノブさんがあることに気がついてしまった。

「ところでさ 昨夜 遅くまで起きてたらしいな。美幸が言ってたぞ。
何 話してたんだ?あいつ やっぱり何かあったんじゃないか?」

あちゃー.....忘れてたよぉ.....
昨夜の事は ノブさんには内緒にしといたほうが良さそうだ。
それに 実際のところ何もなかった訳だし。たぶんだけど......

「へ?....いや.....特に何も.....ないって言ってた。うん。
ただ 友達と一緒にたまにはリッチなランチ食べたくなったとか何とか?」
「ん?あれあれ 香織ちゃん 何か隠してはいませんか?君は分かり易いからねぇ」
「な.....何も隠してなんかないですよ?それより よく言うよ。
その分かり易い女房の深ーい愛に気がつかなかったくせにさ 」

憎まれ口をたたく私の口は ノブさんにあっと言う間に塞がれてしまった。


「.....あっ.....ノブさ.....」

そのまま組み敷かれてそっと目を開けると 目の前には食べかけのピザ。
ちょっとこのままって訳にもいかないと思って.....

「ね....待って ノブさん............」
「......残念 えみちゃん流の仲直り方の実践はまた今度だな。」
「そうじゃなくって.....その ここじゃ...さ 」
「今日は やらないって言ったばっかりなのにな。俺も性根がないな 」
「......ていうか 何で今日は なの?」
「だってさ......もしかしてってことあるだろ 」

ノブさんの言わんとするところは察してるけど
もし例えばそうだったとして
そういう事.......しちゃいけないのかなぁ。

正直 今日は 抱いてほしいって.....そう思ってた。
そんなこと 言えないけどね......

「ね もしもさ その.....できてたら..... 嬉しい?」

ノブさんの答えが分かっていながらも 尋ねてしまった。
でも どうしても彼の口から その言葉を聞きたかった。




「やっぱり 女の子にはピアノだな。」
「はぁ?」
「男の子だったら......そうだなぁ やっぱり野球は必須だな うん 」

......って 自問自答なのね そこは.....

これが 質問の答えなの?期待してた言葉とはかなり遠いような.......

「あのね ノブさん......」
「どっちでもいいか。あ でも最初は女の方がいいって聞くけどさ 」
「はぁー もういいや 」
「......嬉しいに決まってる」
「え....?」
「香織と俺の子だぞ。嬉しいに決まってるだろ 」

やっぱり......私って分かり易いのかもしれない。

ノブさんは 私が欲しがるものをいつだって与えてくれる。
嬉しいって言ってくれただけなのに こんなにも安心してしまう。
本当は 子供ができてたらいいなって思ってた。
ノブさんの赤ちゃん 産みたかったから。
でも また一人で余計なこと色々考えてしまって.....
たったそれだけの一言に 胸がいっぱいになって 目頭も熱くなる。
そんな相変わらずな私を ノブさんは無言でまた優しく抱きしめた。
お互い 何も言わなくてもきっと伝わってる。

私が流した涙の意味は 言葉にする必要のないものだから.....


「明日 ちゃんと病院行こうな。ついていくから」
「うん.....でも....」
「やっぱり 嫌か?」
「別に 私はいいんだけどさ......っていうかむしろ嬉しいけど....」

何が言いたいんだ?って ノブさんは訝しがってたけど


.......その翌日 その答えは明らかになった。




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