「那美、前に行きたがってただろ。いつも昼飯食ってる店、今日行ってみるか?」
 
 
    again      那美の物語  (中編)
 
 
 



ある土曜の朝、突然そんなこと言い出した達也にちょっと驚いてしまった。
まさか・・・私に会わせてどうするつもりなんだろう。
この子が好きだから私とは別れたいって、そんなこと言われたりするんじゃないかって
過去の事があるからそういう不安が一瞬頭をよぎったけど
被害妄想、さすがにそれはないだろうと思い、行きたいと返事した。


たぶん「香織」と言う名前であろう女の子に一度会ってみたかった。
興味って言ったらおかしいのかもしれないけど、実際それに近い感情だった。
自分が一番気に入ってる服を着て、普段はあまりしないお化粧までして
達也にどこ行くつもりなんだ?って笑われてしまった。


初めて彼女を見た時に感じたのは、私よりも若いという負の感情。
長い髪を後ろに束ねて、可愛らしいエプロンつけてた。
こういうお客さん商売の子ってもっとお洒落にしてるのかなって思ったけど
お化粧っ気もあまりなくって本当に素朴な子だった。
そんな彼女からは夫の浮気相手って雰囲気はどこからも感じられなかった。

ママさんとばかり話しててあまり話はできなかったけど
ちょっとした仕草から感じのいい子だと思った。
私の描いてた香織ちゃん像にかなり近かった気がする。
きっと達也だけじゃなくて、このお店に来るお客さんはみんなこの子が好きなんだろうなって、素直にそう思えた。
私にも笑顔で普通に話しかけてくるから、最初は二人の事、誤解してたのかなって思ったけど
達也の態度からみて、残念ながらそれは誤解ではなかったと思い直した。
努めて平然を装ってはいたけど心中は穏やかではなかった。
ママさんが話好きの人でなかったら、きっとどうしていいかわからなかっただろう。


香織ちゃんが薦めてくれたオムライスは本当に美味しくって
コーヒーも、達也が言うようにうちで飲むインスタントとは違う味で
友達になったらコーヒーの淹れ方、教えてもらえたなって思ったりもして。
帰る頃にはもう負のオーラ、出まくってたんじゃないかな、私。

そのせいか私は帰りの車の中ですぐに達也に攻撃を始めた。

「あの子だったんだね。夢の中の香織ちゃんって・・・・・」
「まだ言ってるのかよ。ただの寝言だろ?」
「夢にまで見るほど好きってことなんじゃないの?」
「あほらしい。それより買い物行くんだろが。何買うんだ?」

またうまく誤魔化したつもりだろうけど
この時は何となくこのままって訳にいかなくなってた。

「やっぱりもういい。帰ろ」
「どうした?具合でも悪いのか?」
「別に、買うものないし」
「そか。じゃさ 久しぶりにチャレンジしてみるか?」
「無理だと思うよ。絶対に会ってくれないから嫌な思いするだけだって」
「それでもさ、行ってみよ」

そうしてふたりで時々私の実家に顔を出してみる。
年に三回ぐらいかな。
うちの親は私には会うけど達也とは会いたくないっていう。
その度に結婚は二人の問題じゃないんだなっていつも思う。
達也の親に対しても不快感をあからさまに表すうちの親。
私の体調は気になるものの、どうしても彼とその両親を許せないでいた。
でも達也はそれに負けることもなく、時々は顔を出そうって言ってくれる。
家出同然にしてしまった私に対する罪悪感からだろうと思う。
達也が悪い訳じゃない。
ただあの時の私が弱かっただけ。


そしてやっぱりうちに上げてもらえたのは私だけで
親に元気そうな顔だけ作って見せてすぐに、私はまた達也が待つ車に乗った。



「ほらね。言ったでしょ」
「まだ怒ってんのかよって感じだな。何年経ったと思ってるんだよなぁ」
「弟が出てから二人だけでしょ。なんか老け込んだって感じだった」

弟はこんな姉の事なんか気にもしないで
両親を置いてさっさと就職して遠くへ行ってしまった。

「那美、あれから具合悪くなったりしてないか?」
「全然大丈夫。もう何ともないから」
「ならいいけど。これからどうする?行きたいとこあるか?」


達也の優しい言葉に、またさっきの事を思い出した。
せっかくちょっと忘れかけてたのに。
やっぱりはっきりさせた方がすっきりするかもしれない。
いつまでもこんな風にぐだぐだ考えたって仕方ない。
あの時とは違う。何を聞いたってきっと大丈夫。


私は覚悟を決めた。

「行きたい所はないけど、達也に話がある」
「何だ?」
「とりあえず帰ろ」

私の様子に何か察したのか
達也はそれ以上何も言わずに家に車を戻した。



「で、話って何だよ」
「達也、好きな子できた?」
「何の話かと思えばそんな話かよ」
「真剣だよ、私は。ちゃんとほんとの事言って」
「そんなのいるわけないだろ。これでいいか?」
「じゃ質問変える。あの子の事が好きなの?」
「はぁ?あの子って誰だよ?」
「さっきの、香織ちゃんだっけ」
「いい加減にしろって。何が言いたいのかさっぱりわかんねぇし」

肯定とも否定とも取れない答え。

しばらく沈黙が続いた後に達也の小さなため息が聞こえた。
このままだと絶対に本当の事は言わないだろう。

「もしあの子の事が好きで、もし付き合ってるなら・・・・・」

もしそうだとして、私はどうしたいんだろうって考えた。
追求したところで、達也がもし認めてしまったとしても、その先の事なんか何一つ考えてなかった。

「私が・・・別れてあげてもいいよ」

彼女とは別れてよって言えなかった。
もう会わないでって言えなかった。
本当は達也と別れるつもりなんてないくせに、口から出たのは心とは裏腹の言葉で
気まずい空気が流れる中で、だけど止められなくなってて
何も言わないでいる達也にイラついてしまった。

「可愛い子だよね あの子。達也の好みだよね」
「何言ってんだか。なんで勝手に決めてんだよ」
「いつもあんな美味しいもの食べてていいよね。なんか前の晩の残り物だよぉ 」
「たまには上手いもん食えばいいじゃん」
「だって達也が帰ってこない時の晩のおかずが残るんだもん」
「だから作らなくっていいっていつも言ってるだろ」

自分の口からどんどん出てくる嫌味な言葉。
こんなこと言いたい訳じゃないのに。

「じゃあ私って、何のために達也と一緒になったんだろうね」
「いい加減にしろよ。怒るぞ」
「だって食事も作らなくってただ家にじっとしてるだけなんだもん。私ってさ、もしかして家政婦以下かもね。子供だっていないしね」
「那美、もうやめとけ・・・・・」

達也が怒るとほんとに怖い顔になる。
もうそれ以上は言わないほうが賢明かもって思った。


達也は私の手を無理やり引っ張って寝室に連れて行った。
まだ明るい時間だというのにそのまますぐにベッドに押し倒された。
彼は月に五回ぐらいのペースで私を抱いてくれる。
よその夫婦の事を知らないのでこれが多いのか少ないのかわからないけど
たぶんセックスレスっていうほどでもないんじゃないかと思ってる。

だけどこんな時にするのってどうなんだろうなって思った。
私が何も言わなくなるようにするのにはこれが一番だとでも思ったんだろうか。
達也は私を抱いたあと、いつものように隣で煙草に火をつけてから

「那美、俺は離婚はしないから。心配するな」

そう言いながらさっきとは違う優しい顔で私の髪を撫ぜてくれた。
もうそれ以上何も言わなかった。
結局彼にとってこの一回は、効果てきめんだったってとこなんだろうか。


それから彼は普段どおりにお風呂に入り、私が作ったご飯を久しぶりに食べて
余程神経が疲れていたのかさっさと眠ってしまった。


後片付けをしながら考えてた。
あまり活躍することのない達也のお茶碗は、結婚するときに二人で買った夫婦茶碗で
これだけは絶対に割らないようにしなきゃっていつも気をつけてる。
夫婦ってなんだろう。紙切れ一枚の繋がりでしかないような気がする。
この紙切れが、この先ずっと他の人を好きにならないという力を持つわけじゃない。
つまりはお互いに信じるしかないという事。

眠れない私は 昼間会った彼女の事ばかり考えてた。

二人がもし付き合ってるとして、不倫相手の妻を店に呼んだりするだろうか。
もしかしたら達也が彼女に一方的に言い寄られてて
私をわざと連れて行って彼女に立場を分からせたとかって事もありうる。
前の女だってそんな感じで達也を誘ったって言ってたし。
ひょっとして彼女も?
いや、違う。そんな子には到底見えなかった。
だとしたら二人は付き合ってないのかもしれない。
達也のあのおかしな態度も、私の思い過ごしかもしれない。



色々な考えが私を悩ませる。

いったい何を信じればいいんだろう。

 
 

 
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