「那美さん、あそこ二人にしといていいの?」

この子は確か、まきちゃんだったよね。

「うん。いいの」

again 那美の物語 (前編)


「気に・・・ならないんですか?」

この子はえっと、恵理子さん・・・だったと思う。
香織ちゃんとの話によく登場する彼女たち。
私の事、心配してくれてるのかな。

「今日はね、許そうかと思って」

そう、今日は特別な日だし。

「那美さんって心が広いですよねぇ。私だったら絶対に嫌だけどな」
「平気そうに見える?それなら良かった」
「普通に考えて平気な訳ないじゃん。ね、那美さん」

まきちゃんの言う通り、平気な訳じゃない。
だけど今だけ、少しだけ達也に時間をあげたくて
秋山君にちょっとだけだからってお願いしてみた。

達也、ちゃんと話せてるかなぁ・・・香織ちゃんと。


香織ちゃんと秋山君が結婚するって聞いた時はほんとに驚いた。
まさかあの二人が付き合ってるなんて思わなかった。
香織ちゃんも何も言わないし、達也だって何も教えてくれなかった。

「みんなは・・・その・・・・・全部知ってるんだよね?」
「全部は知らないけど大体は・・・ね?なつみさん」

あれ?なつみさん・・・だったっけ?

「だからぁ、私は恵理子だって言ってるでしょーが。もう全く・・・」

なんだか分からなくって、それから色々教えてもらった。
どうやら香織ちゃんにも、もうひとつの名前があるらしい。
彼女たちの話はとても面白くって、もっと聞きたいことたくさんあったのに。

「那美、帰るぞ」
「あ、はーい。みんなまた今度お話聞かせてね。今日はありがとう」


やっぱり秋山君が我慢できなかったか。まぁ当然だよね。


私たちは幸せそうな二人に見送られて店を出た。
香織ちゃんは最高の笑顔で私に微笑んでくれた。
どうやら私の気持ちを汲んでくれたらしい。


車に乗ってから達也は何も話さない。
家についてからも早く寝ろって言われたから先にベッドに入らせてもらった。
今日はほんとに、ちょっと疲れてるかもしれない。
こんな風に色々考えるのはもうやめようって思ってたのに・・・。




あの飲み屋の女と達也が別れたと香織ちゃんから連絡があった時
どうしたらいいのかと悩んだ。
達也とは本気で別れるつもりだった。
私なりに考えて出した結論だったし、もう後には退けないと思ってた。

だけど・・・・・

ずっと専業主婦をしていた私はあまりにも世間知らずで
最初に勤めたバイトはすぐに辞めてしまった。理由は足が痛いから。
情けない話だけど、立ち仕事は私には向いてないみたい。
でもアパート借りてるから家賃も光熱費も払わなければいけない。
すぐに違う仕事も見つかるだろうと箍を括ってた。

何件も面接受けて何枚も履歴書を書いた。
履歴書っていっても書くことなんか何もないんだけど。
やっと見付けたバイトは前よりも給料は安いけど、それでも座ってできる仕事だった。

本当はもう疲れきってた。
一人で生きていくって本当に大変だと思い知らされた。
親元に帰ればいいのだろうけど、それだけはできなかった。
達也と結婚する時に、親に勝手にしろと言われた。
その代わり何があってももう知らないって。
そんな親に、離婚しようと思ってるなんて言えるはずもなくて
私には行く所なんかどこにもなかった。
達也はそんな私の事をよくわかってたんだ。


私たちの結婚が反対された理由は単に歳が若かったからというだけではない。
本当は別の理由がちゃんとある。


高校二年の時に達也と付き合い始めた。
最初に告白したのは私のほうだった。
野球をしてた達也がとても素敵でかっこいいなって。
友達の友達に彼を知ってる子がいたから
頼んで話をさせてもらって、そしたらもっともっと好きになった。
達也も私の事を気に入ってくれたみたいで、それがとても嬉しかった。


そんな達也がすごいやきもち妬きだって知ってから
わざと他の男子と廊下歩いて彼の教室の前を通って見たり 
秋山君と三人で居る時も、わざと無口な秋山君の方に話しかけたり
その度にすごく怒られたけど、結局最後には、お前が好きだから怒ってるんだぞって言ってくれる。
そうすることで彼の私への思いを確認してたんだろう。
思い出せばとても稚拙な行為だけど、そんな毎日が楽しくって本当に幸せだった。


だけど、達也が先に卒業してからしばらくして
先に社会人になった彼に他に好きな女ができてしまった。
達也は私にあっさりと別れてくれって言った。
私は嫌だって言ったんだけど、達也はどうしても別れたいって。
すごく悲しくって・・・辛くって。
私には彼しかいないって思ってたから、本当に大好きだったから。
別れ話をされてからの私は自分でもどうしていいかわからないくらい
見る影も無いくらいに落ち込んでしまった。
たぶん今まで生きてきた中であの時が一番きつかったな。
食事もできなくなって、学校にもたまにしか行かなくなってた。
何か口に入れてもすぐに戻してしまう。
体重が一気に10キロくらい落ちてしまって、夜になっても眠れなくって、毎日泣いてばかりいた。
そのうちに過呼吸にもなってしまって、息をするのも辛くなってた。

そんな私を見て両親はとても心配してた。
自殺でもするんじゃないかといつも私の様子をうかがってた。
達也との別れが原因だということは両親も知ってたから、彼には絶対に連絡しないで欲しいと頼んだ。
こんな惨めな姿を、彼にだけは見られたくなかったから。


病院に連れて行ってもらって、精神安定剤とかそんな感じの薬も飲んでた。
そうでもしないと高校の卒業も危なくなってた。
薬を飲み始めてから少し眠れるようになった。
出席日数が足りてない分だけは学校に行かないといけなかった。


しばらくはそんな感じで、何とかギリギリ卒業はできたんだけど
それでも外で働けるような状態ではなくてしばらくは家にいた。
その頃には徐々にだけど体調もよくなってきて
薬を飲まなくても外出できるくらいには回復してた。
そんな私に両親も少しだけ安堵してた。



ちょうどその頃だった。
近所で偶然に達也に会ったのは。


久しぶりに会った達也は私にと目が合った瞬間、あの頃と同じ笑顔で笑いかけてくれた。
せっかく落ち着きかけてた頃なのに、また息が少し苦しくなったけど
それでもまた彼に会えたことの喜びは、その苦しさを勝っていた。
まだ彼を諦めきれていないそんな自分に、ほとほと呆れてしまったけど。


「那美、痩せたか?」
「え・・・・・そうでもないよ・・・・・ちょっと・・・かな」
「ちゃんと食ってるのかよ。お前は」
「達也は?元気そうだよね。よかった」
「まぁな、それよりさ那美、今彼氏いんの?」
「いない・・・どして?」
「そか、俺さ、やっぱお前のがいいかなって思ってるんだわ」
「・・・・・え?」
「今の女と別れるつもりだからさ、もう一回やり直せねぇ?嫌なら仕方ないけどさ」


そう言われた私に迷いなんか全然なかった。もう一度彼と一緒にいられる。
達也が私のところに戻ってきてくれたのが本当に嬉しくって
それまで苦しみや辛かったことなんか何もかも過ぎたことだった。
後で聞いた話だと、どうやら私と会ったのは偶然じゃなかったらしい。
私に会うために近くまで来てたんだって聞いて、心底幸せを感じた。


だけど・・・・・私の両親は彼を許してはくれなかった。


私がああいう風になった原因を知ってるから、当たり前だといえばそうなんだろうけど
そんな身勝手な男はもうやめなさいって言われた。
きっとまた同じようなことになるに決まってるからって。
それでも私は絶対に達也とは別れないからって言い張った。

それからは両親の目を盗んでは二人で会ってた。
そんな私にそれまでのこともあるのか
あまり強く言うこともできず、また同じ事を繰り返すことを恐れた両親が
彼の親にこれまでの事を全部話して別れさせて欲しいと頼んだそうだ。
達也は昔からの結構由緒あるお家の次男坊。
あっちのお母さんはうちの親の事なんか相手にもしなかったらしい。
私は達也に自分がそんな状況だったことは話してなかったから
それを知った彼は責任感からか前よりもずっと私に優しくしてくれた。
それからしばらくして彼からプロポーズを受けた。

「那美、いっそ結婚しちまおうか。」

そんな大事なことを簡単に言ってのける彼に、ずっとついて行きたいと思った。
達也がいれば何にもいらないって、親も捨てたって構わないってそう思った。
そういう意味ではやっぱり若かったのかもしれない。


私たちは誰にも賛成されないまま二人で勝手に入籍をした。
もちろん結婚式だってあげてない。
達也の親はそんな私たちに呆れてしまって何にも言わなかった。
ただそんな結婚をしてしまってるんだから、自分たちも何もしてやれないと言われた。
私の親にもかなり腹がたってたみたいだった。

だけどそう言いながらも、達也の給料じゃ家賃も払えないだろうと
結婚のお祝いの代わりにマンションを与えられた。
なんだかんだ言ってもお義父さんもお義母さんも達也には甘かったから。
だけど私に対しての思いやりなどは一切感じた事はなかった。


達也は私を外で働かせたくないって言った。
苦労させたらもっと那美の親に頭あがらなくなるだろって。
家賃も払う必要がなかったから、達也のお給料だけで生活はできてたし
外で働いたことなんてない私はそれに甘えることにした。


そうして色々なことを二人で乗り越えてきたつもりだった。

それなのに・・・達也は・・・・・


最初の浮気は正直言って気がつかなかった。
浮気というよりもたちの悪い女に引っかかったって感じかな。
会社の事務の女の子が達也を誘ったらしい。
家に無言電話がかかるようになって、達也に相談すると心当たりがあるって言われた。
だけど関係は絶対に持ってないからって言い張ってた。
たぶん私がまたあんな風になったらいけないからって思ったんだろう。
それを聞いたときには悲しくって、だけど相談できる人なんかいない。
私には達也しかいないからって思った。
前の時だって達也は私の所に戻ってきた。
女とは何も無かったって言ってる。
たとえそれが嘘だったとしても、それはきっと私を失いたくないからついてる嘘なんだって思うことにして、もうそれ以上彼を責めたりはしなかった。


最後には結局、お金を渡して話をつけたらしい。
彼女は黙って会社も辞めたと聞いた。
それはずいぶん後になってお義母さんに聞かされた話。


その時にお義母さんに言われた。
子供作らないの?って。
私だってすぐにでも子供が欲しかった。
孫ができればうちの両親だって喜んでくれるはずだし
もしかしたら彼に対しての気持ちだって変わるかもしれないって思ってた。
病院には何軒も足を運んだけど一人じゃ話にならないらしくって
旦那さんもご一緒にって言われて達也に相談したけど
俺には那美がいたらいいから、そこまでして子供はいらないって言って
そういうところは分かってくれてなかったみたいだった。


そしてやっぱりまた・・・・・


正直、箍を括ってた。
あれから何年も何もなく幸せに暮らしてたせいで
いわゆるどこにでもある夫婦になってしまってたから。
浮気なんてどこの旦那でもきっとしてる。
気がついても知らん顔してればそのうち終わるんだって思ってた。


香織ちゃんの事も最初は簡単に考えてた。
どうせまた私の所に帰ってきてくれるって。
そんなに長くは持たないに決まってるって思ってた。
だけど前とは違ってた。達也が私からどんどん離れていくのが分かった。
今度はもう本当に駄目かもしれないってそう思った。

あの頃、最初に達也の様子がおかしいと感じたのはいつだったっけ。
あの人は自分で気がついてないのかもしれないけど結構わかりやすい人。
長く一緒にいるせいでちょっとした彼の変化にも敏感に気付いてしまう。
私がなんにも気がついてないとでも思ってるんだろうか。


いつもお昼を食べに行く喫茶店の女の子の話。
最初の頃は色々教えてくれてた。
だから「香織ちゃん像」っていうのはぼんやりと頭の中で出来上がってた。
お話が上手で明るくて、誰とでも仲良くできる
コーヒーを淹れるのが上手な女の子・・・てとこかな。
いつの間にかその子の事を話さなくなって、そして接待という名の朝帰りが始まった。
酔っ払ったら車で寝るから先に寝てろよって電話がかかって
最初のうちは起きて待ってたけど、段々馬鹿らしくなってしまって
一人でも平気で先に寝られるようになってしまってた。
帰ってこない日もあったし、帰ってきた時はいつの間にか私の横で眠ってる。

だけどいくら営業という職業とはいえ
三日と空けずに遅くまで飲んでるなんてありえない。
世間知らずな私だってそれぐらいはわかる。


「・・・・・・・香織ちゃん・・・今何時?・・・・・]

達也が寝惚けて言った一言で、私の予感が的中したと確信した。
だけど彼女の夢を見てる達也にではなく
夢の中の彼女に対しての怒りの感情しか沸かなくって

・・・・・負けたくないって思った。

香織という女の子には絶対負けたくないって思ってた。

・・・・・絶対に離婚なんかしない。

あんな辛い思いしてやっと手に入れた幸せなんだから。

それからは事あるごとにわざと彼女の名前を出してやった。
何か喋ればボロが出るとでも思ったのか、達也はいつでも曖昧な答えで言葉を濁してた。



しばらくして私は、その彼女に出会うことになる。




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