それから何事もなく毎日を過ごして 季節の移り変わりを感じてた。
また私の好きな季節がやってきて 店の前の金木犀の香りが強くなってきた。
この香りがしてくると 秋がきたんだなぁって思う。


  カフェテラス  38


こんな穏やかな日々が続くとどうしても考えてしまうのはやっぱり彼の事で......
いつまでもこんな風に思ってたら駄目だと思う自分と
想うだけならいいだろうという自分が いつも喧嘩してるって感じ。
未練たらしいというか ほんと私ってだめだよなぁ。

あれから恋はしていない。
お母さんも最初はお見合いだとか紹介だとか言ってたけど
全く靡かない私に呆れたらしく 最近はもう何も言わなくなった。
ここに来るお客さんも年配層が多いので 運命的出会いは皆無に近い。


その日もカウンターの中で さっき注文を受けたキリマンを淹れてた。
このお客さんは味に煩い人なのでかなり神経を使う。
こないだなんかは 味が気に入らなかったのか半分も残しておかわりって言われたし。
近所の工務店のおじさんなんだけどいつも作業着でやってくるちょっと変わり者。
口数も少なくって でも美味しいときはちゃんと旨かったっていってくれる。
フラスコからロートへぽこぽことお湯が上がっていくのを見ながら
タイミング良く火加減を調節して竹べらでぐるぐると回す。
ここが味の決め手で腕の見せ所って感じかな。
回し方で味が変わるから大事なところで......


その時 ドアの鈴がチリリンと鳴って誰か入ってきた。

「いらっしゃいませ。」

私は手を休められず 入り口の方もみないでそれだけ言った。
その人はカウンターの一番端に座った。

「少々お待ちくださいね......」

その人の顔を見てしまったばかりに手が止まってしまい
慌てて火も止めてしまって中身はフラスコの中に落ちていった。

だめ....蒸らしが足りない......もう やり直しじゃん....

おじさんに すいませんと言ってもう一度豆を挽こうとしたら
それでいいよって言ってくれたけど私は頑として聞かなかった。
そしたらその人が口を開いた。

「じゃ 俺がそれもらうから。」
「そういう訳にはいかないから......」

とりあえず淹れなおさなきゃ.....私はもう一度豆を挽いてから
今度こそ集中して淹れた。その人の事は見ないようにして......。

「すいません。お待たせしました。」
「はい ありがとう。」

おじさんは黙って飲んでた。とりあえずOKなのかな?

無視する訳にもいかないのでさっき来たその人に話しかけた。

「......何にしますか?」
「かおり......」
「はぁ?」
「....のいいコーヒーを」

おかしな会話に私の前に座るおじさんはくすっと笑った。
あまり笑ったことの無い人なのでこっちが吃驚した。

私はまたサイフォンをセットしてモカの豆を挽いた。
一緒にいる時に いつも淹れてた豆でいいだろうと思って。
手が震えて上手には淹れられなかったけど.........

「お待たせしました。」
「サンキュ」

彼が一口飲んでから私は静かに話しかけた。

「どうしてわかったの?ここ」
「ん?聞いたから。やっぱ香織が淹れたのは旨いな。」
「サイフォンで淹れたからでしょ.......で 誰に?」
「別にいいだろ。誰でも....」

きっとまきちゃんだな。この前心配してたし。
人の事 お節介だとか言ってたのに.........

「迎えに来た。一緒に帰ろ 香織」
「.......手紙 読んでないの?私 帰らないって書いたよね。」
「そうだっけ?」

その時おじさんは席を立ってお金をカウンターに置いて言った。

「ママ ごちそうさま。今日は特に旨かったよ。」
「.....あ...ありがとうございました。」

おじさんはそれだけ言って帰ってしまった。
店の中は私たち二人だけになってしまって......


「ノブさん 私.....帰れないから。」
「帰れないってことはやっぱり俺のとこが香織の家ってことだよな。」
「そういう意味じゃなくって.....」
「待ってたんだぞ。ずっと.....シチュー作るからって言ったよな アスパラぬきの。
..........あんな手紙 信じられるかよ。」
「.....アスパラはたっぷりって言ったはずだけど?」
「あれは未だに食べれない。あおくさい。」

なんだか話の論点が かなりずれてる気が.......
だめだ。ちゃんと言わないと。このままじゃいけない。

「ノブさんは帰るとこ ちゃんとあるでしょ。」
「あるよ。だから一緒に帰ろって言ってるだろ。」
「......彼女のとこ帰ってあげてって手紙に書いたはずだけど」
「それじゃ 香織のとこに俺が帰るって事か?」
「真面目に話してよ。」

はぐらかしてばっかりのノブさんにちょっとだけ大きな声で言った。
だけどノブさんは至って冷静で........

「大真面目だぞ 俺は。お前は俺の彼女だろ。」
「なんで......わかってくんないかな。」
「俺は別れたつもりは無い。そんなに俺が嫌か?もう嫌いになったか?」

嫌いじゃない。今でも前と同じようにこの人が好き。
こうして会って 顔見たら前よりもずっと彼を愛してることに気付かされてる。
会いたくて会いたくて堪らなかった。何度も何度も想い出して泣いた。


「.......オネスティの曲の意味 覚えてるか?」
「.......え?」
「香織だけは 俺に嘘をつかないで欲しい 」
「......嘘なんて.....ついてない。」
「手紙に書いてあったな。俺のことは忘れますってさ。もう忘れたか?
........もしそうなら 今ここではっきりと別れたいって言ってくれ。」

忘れたことなんてない。忘れようと思っても忘れられなくって.......

「正直に言ってくれよ。嘘つくなよ。」
「.....そんなに.....苛めないでよ。」

私の顔をじっと見るノブさんの目を見ることができない......
だけど下を向いたら涙が落ちてしまうから私は横を向いてた。
ここで もう忘れたって 別れてくれって言えばそれで終わることなのに
どうしても口が動かない........

「......あいつの親父さんがさ 香織に謝ってくれって。じゃないと あいつが口利いてくれないらしくってな。」
「.....え?」

あの時電話で彼女のお父さんは彼女の代理だと言ってた。
彼女はノブさんとやり直したいって言ってるからって
あなたが身を引いてくれればあとは何とかなるからって。
私も 彼女に彼を許す気があれば きっとまた元に戻れると思ったから............
彼をお願いしますって言って了解した。
そんなに簡単にいかないことぐらいはわかってたけど
だからこそ 彼の元を離れてここに逃げてきた。
私の気持ちはノブさんにもきっと伝わると思ったから......


「彼女を傷つけて 私だけがノブさんとって訳にはいかないよ。それぐらいわかってくれると思ってたのに.......」
「.......わかってたよ。香織が一番辛い思いしてることぐらい。」
「それなら.......もう帰ってよ。」

もうこれ以上は無理だった。我慢していた私の涙はどんどん出てきてしまって
止める事も隠す事もできなくって........
人が来るかもしれないのに 私は気がついたら泣きじゃくってた。

「お願いだから.....もう来ないでよ。ノブさん.....」
「.......香織 聞いてくれるだけでいいから話していいか?」

ノブさんの落ち着きようにちょっと冷静になった私は おしぼりで顔を拭いた。
お化粧も全部 落ちちゃったな.......

「お前の気持ちも良くわかるし 正直言うと俺も悩んだ。あいつの事は俺のせいだし
男ならやっぱりこんな時 責任取らないといけないんじゃないかってな。
.....でもさ 香織のこと好きな俺のままでいいのかなって思ってさ。」
「だから.......私がノブさんのとこから離れたの。そしたらいつか忘れるだろうって 」
「きっとそれが 香織が色々考えて出した答えなんだろうな。」
「これでも一生懸命考えたんだよ。一人でさ.....」
「そこだよな 俺と香織の間違いは 」
「.........え?」
「何でちゃんと香織と話さなかったんだろうなって思った。俺も一人で悩んでて.....
でも香織のこと本気だったから そんな情けない姿見られたくなかったのかもな。」
「ノブさん......」
「俺だけの問題だと思ってたけどそうじゃなかった。香織ともちゃんと話すべきだったな。
........今回のことは俺が香織を追い詰めたんだと思ってる。」

私はノブさんの言葉をじっと聞いてた。
ノブさんの辛さもわからないで自分だけが我慢すれば済むと思ってた。
もっとちゃんと向き合うべきだったのかもしれない......
でも 怖かったというのが本音。ノブさんが私から離れていくんじゃないかと。
それならいっそ私の方からと思ってたのかも......そんな私は本当にずるい女だ。

「.......彼女は?元気なの?体の方は......」
「もうあれからだいぶ経つけど何ともないらしい。もう仕事もしてる。」
「........そう。良かった。でも体はよくなってもきっとまだ........」
「あいつ言ってた。もう来なくていいからって。香織にも伝えてくれって。
 一度駄目になったものは元には戻れないからって。」
「でも......私は.......」
「信之はもういらないってさ。新しい職場で他の男探すからって笑ってた。」
「.......ほんとに?ノブさんはそれでいいの?......」
「なぁ 香織 ほんとに俺が嫌になったんなら正直に言って欲しい。
あれからだいぶかかったしな。お前探すのに。
その間にもしかして他の男 好きになってるかもって思った事もある。」

ノブさんの目はとても真剣で言葉はとても誠実で......

「もしそうなら......」
「.......なことない。」
「え?」
「........そんなことないから。私 ずっとノブさんの事....」
「俺の事 なに?」
「.........ずっと会いたくて.....うぇっ......会いたくて....」
「香織.......」
「.........大好きで.......前よりも もっともっと大好きで.......」
「もうわかったから泣くな......仕事中だろ。」
「.........そうだけど..... 」
「ていうか......ここで抱きしめたくなるから 泣くな。」

それは困ると思ったけど 私の涙はその後お客さんが来るまでの間 ずっと止まってくれなかった。
私の顔を見てそのお客さんは どうしたの?って言ってた。
きっと凄い顔してたんだろう。みっともないな。


ノブさんは私の仕事が終わるまでずっと待っててくれた。
その間もカウンター越しにノブさんとずっと話して.....


ノブさんともっと一緒にいたくて 遅くなるからと家に連絡してから二人で食事に行った。
近くにある創作料理のフレンチレストラン。
初めて来たけどテーブルのひとつひとつにキャンドルが置いてあって
とても素敵なお店だった。

「ずっと外食ばっかりでもう飽きた。香織の料理が食いたいよ。」
「また 何か混ぜちゃうよ。それでもいいの?」
「.......アスパラはやめてくれ。」
「絶対 いつか食べさせて見せる。」

何に混ぜてやろうかなって笑いながら言う私に ノブさんが言った。

「香織 俺まだ聞いてない。プロポーズの返事。」
「ノブさん........」
「俺の気持ちはずっと変わってない。香織だけずっと愛してる。俺と結婚して欲しい。」

あれから半年以上経ってる。
一度は逃げ出した私を変わらず愛してるといってくれるノブさん。
ノブさんは私の手を握ってじっと私の返事を待ってる。

「........ほんとに私でいいのなら......私 ノブさんのお嫁さんになりたい。」
「香織以外はいらない。お前の代わりはどこにもいないから。」

嬉しくって......そんなこと言われたことなくって......
私は また 泣いてしまった。
握ってくれてたノブさんの手が私のほっぺたを撫ぜた。
その手が彼のポケットに入って出てきたのは茶色の毛並みの可愛い小さなテディベア。
そしてその子の腕にはルビーが乗っかったシルバーリングが光ってた。

「これって.....」
「受け取ってくれるよな。そっちの手 貸して.......」

ノブさんは差し出した私の左手の薬指にくまさんから外したその指輪をそっと嵌めてくれた。
私は思いがけない彼からのプレゼントに胸がいっぱいで......


「やっと渡せたな?」
「......ってなんでクマさんに話しかけてんの?」
「こいつはずっと俺のポケットに入ってたから親近感感じるんだよな。」

そういうノブさんとクマさんの取り合わせが可笑しくて
私は涙目でクスッと笑ってから しばらく自分の指に光るリングを眺めた。


「なぁ 今から香織の家 行ってもいいか?」
「え?今からって......」
「早く俺だけのもんにしたいから 親父さんに会っときたい。」
「今日?今から?」
「こういう事は急いだほうがいいだろ。なんだ?気 変わりそうなのか?」
「そうじゃないよ。........私も早くノブさんとこ戻りたいけど。」
「じゃ 決まりな。行くぞ 覚悟しとけ。」

ノブさん こんな突然で心の準備できてるんだろうか?
今日 再会したばっかりでもう婚約って何かすごい事になってる。
お父さんもきっと驚くだろうなぁ。腰ぬかすかもね。でもきっと......

ノブさんの事 気に入ってくれると思う。





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