彼と別れてからどれくらいかな。もう連絡がこないからと悩む必要もなくなった。
他は何も変わらない。ただ彼と終わったってだけのこと。



      カフェテラス  31



ノブさんにはすぐに話した。仕事の事があったから......
でも ずっとここにいていいからって言ってくれた。
ただし 辞めたくなったらいつでも言えって。
別に仕事なんてどうでもよかった。どこで働いたってそんな変わらない。
他に探すのが面倒だし さすがに吉永さんもここにはもう来ないだろう。


夜が来るとどうしても彼の事を思い出してしまう。
でもそれは愛してた時とは違う。ただ憎いという醜い感情だけだった。
お酒を飲んでも眠れない。
あれから私は 一度も泣けない......


時々夜の街に出た。
結局 まきちゃんの店しか行くあてもなくて
いつもそこのカウンターで一人で黙って飲んでた。
まきちゃんは事情を知ってるから何も言わない。
この人は本当に人の気持ちがわかるひとだから.......
えみちゃんも私の雰囲気を察して いつもみたいに纏わりついてこない。


女が一人で暗い顔して飲んでれば 男は必ずといっていい程声を掛けてくる。
そんな時 まきちゃんは適当にあしらってくれる。
でも本当は........誰でもいいから抱いて欲しいと思ってた。
別に今更 減るもんでもないし。
そしたら少しは救われるかもしれないって...........
あの時のなつみさんの気持ちが分かる気がした。
どうせ夜になっても眠れない。一人でいると彼への憎しみでどうにかなりそうだった。
だけどまきちゃんに言ったら 自分を大事にしなさいって怒られた。
そんな事しても あと虚しいだけだって言ってた。
彼女はいつも 的を得た答えを私にくれる。


こんな時いつもなら恵理子さんに話を聞いてもらうんだけど
さすがに今は.....幸せそうな彼女に会えるほどの強さが私にはなかった。


.......奥さんとはどうなったんだろう。
ある時ふとナミさんの事が気になり 何となく電話帳で彼の名前を探してみた。
名前からすぐに番号がわかった。
そして平日の昼間 ノブさんが打ち合わせに外出してる間に会社からかけてみた。
でも幸い電話には誰も出ることは無かった。電話なんかしてどうするつもりだったんだろうか。
何の考えもなく電話した後で 誰も出なくて良かったと安堵した。
もと不倫相手が 旦那さん浮気してますよと 告げ口でもする気だったのだろうか。
自分の馬鹿さ加減に........ほとほと呆れた。

憎しみという感情に私は狂わされていった........


それでも仕事だけは毎日ちゃんと出た。
のぶさんは前と全く変わらず私に接してくれる。

私は会社のベランダで煙草を吸いながら空を眺めてた。
もうピルを飲む必要もない。あれを飲むなら禁煙しなきゃいけないって
産婦人科のお医者さんが言ってたからずっと吸ってなかった。
もう夜の8時を過ぎてるから星がいっぱいでてる。
なんとなく帰らずにこの時間まで残ってた。

夜空はほんとに綺麗で 久し振りにこんな景色見たなって.....


その時後ろから抱きしめられた.......


「どうしたの?」
「......お前が身投げするんじゃないかと思って....」
「そこまで馬鹿じゃないし」
「そっか?」

私の項に彼の息がかかる。
そして唇が首筋を通って耳元までやってきた。

「私なら後腐れなさそうとか思ってるんだ」
「香織ちゃん 俺 お前の事.....」

そのままノブさんは私にキスをした。
抵抗もしないし 受け入れもしない私.....


「ノブさん 婚約者いるんでしょ。私そういうのもう嫌だからさ 」
「いつの間にか好きになってた。お前の事。俺じゃだめか?」
「じゃあ......彼女と別れてよ 」

ノブさんも一緒。私の事 都合のいい女としか見てない。

「帰ります。おやすみなさい。また明日ね」


その日は真っ直ぐ家に帰って考えた。
あのままノブさんとどうにかなってたら 吉永さんの耳にも入るかな。
それはきっと すてきな復讐だったかもね.......
あれから一度も泣かない私はそんなことをぼんやり考えながら
眠れない夜をお酒を飲みながら過ごした。



次の日も 私は普通どおりに出社して いつもどおりにしてた。
別に取り立てて騒ぐことでもないだろうし.....

「ノブさん コーヒー淹れたよ」
「サンキュ」
「マンションの次は一軒家か。頑張ってね」
「おう 」

いつもと変わらない会話。いつもと同じ空気。
まだここにはいられそうだね。



今年の誕生日は独り身だ。気がつけばもう26歳。
去年の今頃は私は幸せの絶頂の中にいたんだと思うと何だか滑稽で笑える。
あの時の指輪はまだ持ってる。別に未練がある訳ではない。
もしかしたら彼が私の所に戻ってくるかもしれないなどと期待してる訳でもない。
ただ 何となく捨てずに 彼に貰ったピアスと一緒に持ったままだった。
今の私にとってはこれは何の意味も持たないただの物でしかない。


ノブさんの今年のプレゼントは可愛いネックレスだった。
トップに可愛いブルーのテディベアがぶら下がってた。
誰に気兼ねすることも無いのですぐにつけて見せたら 可愛いぞって言ってくれた。

「バースデーだし どっか飯いくか?」
「うん。いいねー。お寿司でも奢って貰うかな」
「じゃ 仕事早めに切り上げるかな。」
「......一度うち寄ってくれない?」
「いいけど どした?」
「忘れ物 取りにね」

ノブさんの車に乗ってうちに帰って指輪とピアスを持って出た。
それからお寿司を食べて二人で飲みに行った。
どこで飲もうかと聞かれて まきちゃんのお店に行った。

「こんばんは−。」
「いらっしゃい。あれ 今日は二人?」
「私のボスだよ。今日の私のパートナー 誕生日なんだよ。私 なんか奢ってー」
「.......素敵なパートナーさんいてよかったじゃん」

まきちゃんは私にヘネシーを一本 プレゼントしてくれた。
いつもより元気な私にまきちゃんも嬉しそうだった。
ノブさんは笑いながら黙って私たちの会話を聞いてた。
それから二人で軽く飲んで私はノブさんにお願いをした。

「帰り 寄ってほしいとこあるんだけどいい?」
「うん どこ行くんだ?」
「.......海 みたいから」

ノブさんと二人であの海に行った。

「ここね 吉永さんと二人でいっつもきてたの。」
「.......そっか。」

私はポケットから指輪とピアスを取り出して一度だけそれを見て海に放り投げた。
不思議と何も感じない。やっぱりもう涙も出ない。冷めた自分に逆に笑えた。

「......ありがと。さあ 行こうか。」
「香織ちゃん 俺さ 女と別れるから.....」
「え?」

悪い冗談はやめて欲しい。今になってそれは彼女に対して酷すぎる。
婚約までしてて式場も押さえてるはず.....そんなことできるはずがない。

「まさか.....私が別れてって言ったから?」
「......俺が別れたいから お前とは関係ない。」
「冗談で言ったんだよ。そんな......私 」
「だから お前のせいじゃない。俺の問題だから。」
「だめだよ そんなの.....」
「こんな気持ちじゃ結婚なんかできないから....」

私は自分のしてしまったことに初めて気がついた。
いつからこんな嫌な女になってたんだろう。
気付かないうちに吉永さんへの憎しみだけが私を支配してた。
そんなつもりじゃなかったのに........
あの時のノブさんはきっと本気だったんだ.....
それにも気付かなかった私はほんとに最低な女に成り下がってた。
どうしよう。とんでもないことしてしまった。

「お願いだからそんなこと言わないでよ。私.....」
「泣くなって。お前はなんも悪くない......」
「でも 私.......」
「香織ちゃんを好きになったのは俺の勝手。だからお前は何も気にすることなんかない。」
「ノブさん........」
「今の俺じゃあいつも幸せになれないから。」


ノブさんの腕の中でそれまで泣けなかった私は思い切り涙を流した。
そして泣きじゃくる私の顔を上げてノブさんは優しくキスをした。
彼のキスは吉永さんが私を愛してた頃のキスと同じで.....とても暖かかった。
いつも私を陰から支えてくれた彼......
私はもう一度 信じてみてもいいのだろうか。

「ノブさん 私ね...まだ....」
「わかってるから.......言わなくても」
「だけど......」
「俺は達也じゃない。それだけ分かってくれればそれでいい。」
「.........ノブさんはノブさんだよ。」
「よくできました。それで十分だから。」
「なにそれ ふふ」

まだ ノブさんと付き合っていいのかどうか分からない。
だけど ノブさんの傍が居心地のいい場所である事も確かだった。

「なぁ.....香織って呼んでも......いいか?」
「......嬉しい.....かも」
「じゃ 香織 今からどっかドライブでも行くか?」
「うん。行く」

ノブさんの事好きになれる気がしてた。
きっと彼の事も忘れられると思った........



「ね ちょっと寄ってく?お茶でも飲んで帰れば?」
「いや。.......帰るわ」

うちまで送ってくれた彼に声をかけたけどよく考えたらそりゃそうだよね。
ここで私は吉永さんと.......

俯いてしまった私に気がついたノブさんはエンジンを切って車を降りた。

「やっぱ コーヒー飲んでくかな。」
「いいの?」
「そんな寂しそうな顔されたら帰れないだろ。そんなに離れたくないのか?」
「べっ 別にそんな事ないけどさっ......運転疲れてないかなって思って....」
「はいはい あー疲れたなー。」

からかわれた私はノブさんの腕を引っ張って玄関までいって鍵を開けようとした。

「まただ。今年も......」
「何だ?これ...花か?」
「うん........でも誰からか分からないけどね。毎年届くんだよね。」
「お前 大丈夫か?これ危ないんじゃないか?」
「でも この花好きだし......本当は見当もついてるの」
「男か?」
「さあ どっちかな?」

それ以上何も言わなかったノブさんは やはり居心地が悪かったのか
ほんとにコーヒー一杯で眠たいといって帰っていった。
さすがに泊まっていけばとは言わなかった。当たり前だけど。


私はその日から夜出掛けることはしなくなった.........







    

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